第11回例会(2019.9.25)「活動のまとめ」

昼の部 (5名)
 当日の新聞記事から、ゲーム依存症について話し合いました。大学生がネットゲームから逃れられなくなり、途中で休学するまでになったことが取り上げられていました。一度、依存の状態になると、そこからの離脱や復帰が非常に難しいことが分かります。専門家の介入や自分から治療に努力したことで、復学し大学院にも進学できたと記事にはありました。その苦労を考えれば、最初からゲームとの冷静な関係がとれるような工夫が必要だと思えます。カジノを含む新しい総合施設建設の計画が取り沙汰されていますが、記事でも取り上げてほしかったです。
 オーダーメイド討論会については、もっと来場者の数を増やしたいとの意見がありました。具体的な宣伝方法での工夫などが、今後の課題になります。来場者には今現在、困った状況にある、という人が多かったが、そういう人に来てもらおうとする場にするのか、それとも一般的な関心を寄せる人に来てもらう場にするのか、対象者をしぼるべきでは、という意見も出ました。どちらかに絞ると、発表内容や掲示物も効果的に準備できるのは確かだと思えます。検討すべき課題です。

夜の部 (5名)
 反省として出されたのは、「討論会」という名前にしたことで、講演を聴くようなつもりで参加を希望する人は来にくくなったのではないか、という疑問でした。確かに討論するとなれば、自分も意見を発表しなければならないと思って抵抗感をもつ人もいたかもしれません。企画段階で、もっと意見を出し合って納得した者にしておくべきでした。
 実際に不登校気味の子どもに対する支援として、市内の施設を利用することになるとの話には、その子の特性について預ける側と預かる側の双方で了解し納得し合うことが大事になる、という実情が語られました。これは、とっさの行動で事故などがあれば責任問題になる場合があるからです。良いと思ったことでも、すぐに実行できないのは、もどかしいことではあるのですが。
 先回りした不安、という種類の過敏さについても話し合われました。これからも続けて、いろいろな話題について話し合って行く予定です。たくさんのご参加をお待ちしております。ではまた来年。

オーダーメイド討論会(2019.9.21)「3テーマのグループで内容充実」

 総参加者数は21名でした。発達障害の当人も、保護者や支援者も、学生も混じり合っての話し合いになりました。
 まず最初に、シェアリング教育研究会メンバーが関わっている活動について紹介しました。発達障害の当事者会/当事者と支援者のおしゃべり会/発達障害の映画を観る会の3つを紹介しました。この後、話し合うテーマで分けて3グループで話し合いました。

  第1グループは、感覚過敏などで生きづらさを感じる暮らしに、自分なりの工夫で対応している体験が主に語られました。A4版ほどのホワイトボードに小さい磁石のプレートを張り付けて、そこに書かれた作業が終われば次々に移動させていく使い方だそうです。これだと、やるべき事の全体像を直感的に把握できて、その進捗状況が周囲の人にも分かりやすくなり、効果を発揮してるとのことでした。それでも、一杯一杯になれば、「逃げる」も大事だとの名言も語られました。

 第2グループでは、主に子ども時代に見られそうな課題について話し合われました。個別の事例も話題にしつつ、公開されている相談機関や支援施設の積極的な利用や関わりを絶やさないことの重要性が強調されました。

 第3グループでは、発達障害をもつ当人の抱えている困り感を周囲にどう伝えると良いのかや、逆に周囲の側からは発達障害の当事者から具体的な困り方をどう聞き出すのが良いのか、などについて話し合いました。就労イコール解決、ではないので、仕事に就きながらも支え続ける必要性について議論されました。

 1時間半ほどの限られた時間で、まだ話し足りない雰囲気が残るぐらいの、熱心な討論が行われました。シェアリング教育研究会内では、これまでもメンバー間での学び合いを進めてきましたが、今回の討論会のように、幅広く集まった人たちと話し合うことの意義を再確認できました。次回の取り組みに、これらのまとめを活用していくことにします。 

第10回例会(2019.9.11)「オーダーメイド討論会、最終準備」

昼の部 (8名)
 今年で4回目になる当会の発表会。2016年の三者講演会、2017年のあるある発表会、2018年の手つなぎ発表会に続けて、今年は「オーダーメイド討論会」としました。普段の例会活動を拡大して多くの方たちと語り合う機会にしたいという思いを表しました。話し合いたいテーマを事前に募集することで、来場者の思いを受け止めたいと考えたわけです。
 時間配分、空間配置、各自の分担などを話し合いました。話が進むにつれて、全体的なイメージが固まっていきました。役割分担も、メンバーの積極的な姿勢で決まっていきました。来場者の数や、どういう人たちが多くなるのかを予想できないので、状況によって対応を変化させる計画です。運営面でのキーワードは臨機応変となりました。
 討論会準備に関わって、狩猟採集生活のアイヌ人たちとADHDなどの発達障害は関連するのか、という話題が出て来ました。こうした大きな枠組みや歴史的な視点でも討論会のテーマが決まれば、貴重な機会になることでしょう。計画の詳細は、文書化する前にホワイトボードに書き込まれました。

夜の部 (7名)
 昼の部で提案された内容について、夜の部に検討を加えました。メンバーの参加可能が増えるので、分担の一部で組み替えや内容変更がありました。テーマ選定とグループ分けについては、実際に紙に書き出してグループ化のシミュレーションもしてみました。ここでも、臨機応変の重要性が確認されました。それはわくわく感にもつながるものです。
 シェア会の取り組みは、一番最初に「学び」がありましたが、それは単に知識を増やすだけにとどまらず、知ったことを広めよう、困っている人を支えていこう、という「働きかけ」につながっています。学生の皆さんには、学ぶことから行動することをシームレスにこなす体験を、社会人メンバーと共に体験してほしいと願っています。社会全体にとっての課題を解決する努力の一例だと考えています。

第9回例会(2019.8.28)「ありのままに生きる、を発表する」

昼の部 (10名)
 どういう意図で発表会をするのか、発表のための労力が負担になるのは本来の目的から外れるのではなかろうか、という基本に立ち返る疑問が出されました。このことで、普段の例会で学び合ったことを、まずはお互いに分かち合うこと(シェアリング)を目指すべきだ、とまとまりました。それを土台にして、広く外部の皆さんにも学びをシェアしよう、という取り組みの意義を確認しました。とくに、発達障害当事者や関わっている人が、自分では言いにくいことを広めようと考えました。
 テーマとして「育てにくさ・生きづらさを抱えている人たちへ~発達障がいを学び、ありのままに生きるために~」を定め、形式としては、『オーダーメイド討論会』というスタイルを考えました。これは、当日の参加を希望する方がたから事前に話題にしたいことを提案してもらって、そのことを議題にして会場で討論や紹介をしようというものです。シェア会メンバーからもこれまでの取り組みからやニュース記事から話題提供をしようと考えています。新しいスタイルに挑戦することにします。

夜の部 (5名)
 オーダーメイド討論会の構想について、夜の部参加者でも話し合いました。意見を出し合い納得し合うことができました。すぐにチラシの具体化などへと話は進みました。原稿を仕上げる分担を引き受ける人がすぐに出て、印刷日も2日の月曜日午前中の確認もできました。宣伝をするのにチラシを置いて貰う場所についても、それぞれから提案が出ました。このように話を進めていけたのは、参加メンバーの積極性なんだと思えました。できる人が進んでする、という気風です。
 当日の具体的な進行表や、役割分担などについては、次回例会の9月11日にまとめることにしました。新聞各社に情報提供して、討論会開催の前に案内記事を書いてもらえるようにアピールする予定です。近隣市も含めて、病院や各種施設にちらし配布やポスター掲示を頼んでいます。たくさんの人に見てもらって、参加に結びつけたいです。

第8回例会(2019.8.14)「発表会について悩んでみる」

昼の部 (5名)
 期日が迫りつつある9月の発表会について、構想を出し合って検討しました。原案として提示されたのは、1.毎月百数十件もの報道がある「発達障害」をキーワードにしたニュースを解説しよう、2.メンバーが関わる他団体の活動について紹介する、3.映画を観る会の10回記念活動に通じるインタビュー動画撮影、といった内容でした。
 参加者の意見が分かれて、これをメインに進めようという積極的な展開にはなりませんでした。続けての議論が必要になりました。インタビュー動画撮影は、メンバーが写るのは良いとしても来場者に頼むとなると問題が起きるのでは、という話をも出ました。どんな質問をするかも定まりませんでした。継続審議の状態です。

夜の部 (6名)
 参加のメンバーが変わっても、なかなか発表会に向けた構想はまとまりませんでした。自分が関わる他団体(当事者会)の活動について紹介したい、という意見は出ました。これは実現させることにします。時間の流れ、会場の空間配置などについても、具体的なイメージを描けないままに、話し合いは終了しました。
 気になる子ども、大人を見る時に、別な環境だとまったく別な印象をもつことがある、という話題も出ました。見る側の心理的な構えも関係しているのだと思えます。簡単に分かったつもりになるのは、問題があると言えそうです。

第7回例会(2019.7.24)「支援が支配に変わり得る善意の過剰」

昼の部 (6名)
 近況報告のなかで、参議院選挙の投票率の低さと、その低投票率が若者によるものだということに残念がる感想がありました。また、子ども食堂に関わっていると支援する側に子ども達へ礼儀作法を強調する人もいて驚かされる、との感想もありました。子どもの生活が貧しくなることには、大人の責任が問われるのですが、自分たちのすべき努力の前に子どもの不出来を指摘する姿勢があるとすれば、そこから見直す必要がありそうです。子ども食堂の取り組みは、「ほどこし」や「おめぐみ」ではなく大人の不出来を詫びる行動だと自戒の気持ちが大事なように思います。
 マイケルムーア監督による銃社会批判の映画も話題になりました。高校生が積極的に発言している米国に感心させられた、とのことでした。久しぶりに学校へ行ったお子さんについて、その様子を報告してくれた例では、やはり当人には学校に行きたいと思う気持ちがあるようだ、と確認できたとのことです。日頃の口ぶりでは、学校なんて意味が無いと言い切っていたのに、じつは気になっているということのようです。表面的な受け止めだけでは、理解が足りなくなるようです。
 ピアノコンクールに向けて子どもの練習を支える役割に邁進している、というお話もありました。愛情を込めた厳しさとして当人に伝わっていくには、直接的な場面だけでなく日常的な関係が大事になるのでしょう。本の紹介もあって、「少ない物で暮らす」というミニマリストの生き方に興味をもったと話してくれました。18着の服で暮らせるんだそうです。興味深い話です。

夜の部 (6名)
 カウンセリング技法の例として、ブリーフカウンセリングと家族システム論的アプローチについて説明がありました。短期間での効果を上げて事態の解決を目指すブリーフカウンセリングは、ミラクル質問という問いかけをすることがあります。それは、「今ある困難な状況が何かの奇跡的な手法で一挙に解決したとしたら、そこはどんな世界になっていますか」と問うものです。当人が目指している状況を具体化するわけです。何に悩んでいるかが、これで切り分けられていく可能性があります。人によっては、悩み続けることで悩みが日常になっている場合があるので、問題を意識し直す切っ掛けになります。
 家族システム論的アプローチでは、ジェノグラムという家族関係図を描いてみました。問題を起こしている人は、この全体が抱えている問題をたまたま表出させている例だ、という見方に気づかせる効用があります。家族に限らず、あらゆる組織や団体に、こうした見方は当てはまります。人類システム論的に見ると、貧困国家は人類の暮らしが歪んでいることの結果となるでしょう。
 しつけと虐待の境目についても話題になりました。誰かへの励ましが、善意を動機にしたものであっても強要が過ぎれば虐待になる場合があるはずです。多くの例では、強要する側に自覚は乏しいものです。強者の側こそが自戒の意識が必要なのでしょう。
 発表会については、9月21日か22日で、内容は個別の発表ブース形式などが検討されました。 

第6回例会(2019.7.10)「息苦しくても秩序で生きるのか」

昼の部 (10名)
 SDGsをテーマにしたディスカッションのブログ記事を最初の話題としました。持続可能な開発目標を掲げての議論は、最近の流行に思えます。記事では3人がスピーカーとして講演し、その後にフロアからの質問に答えていました。ある質問者は自身の教師体験から、学校での秩序志向が強すぎて窮屈さが蔓延している、これで良いのかと問い掛けました。スピーカーの一人は、「法の奴隷・言葉の自動機械」の用語で、病的で秩序を絶対視する現状を指弾しました。発達障害への注目がかえって、当事者へのレッテル貼りになりラベルを見て当人を見ない傾向が進んでいることも問題視されていました。
 メンバーからの発言では、支配の階層・大ボス小ボスの存在・反抗期に反抗できない若者などが語られました。ある不人気な学級委員が入院した際に彼を見舞いに行こうとしたが、そのことを他の級友には知られないように気をつけた、という体験披露もありました。良いことでも悪いことでも目立たないのが一番、目立つ奴はダメな奴、という共通意識があるとのこと。でも、実行に移す子もいる。その差は何か、と疑問の声も。マズローの欲求段階説に「承認欲求」があるが、その承認獲得に絡め取られている可能性が議論されました。行動するには、自尊心が支えであり、発達障害特性の「空気読まない」は人類に必要な性質の一つだ、という話し合いにもなりました。9月発表の話は、残念ながらできませんでした。

夜の部 (7名)
 コラム表の記入と、その検討をしました。このコラム表というのは、人それぞれが知らず知らずに特定の考えや思いを固定的にしてしまうことに気づくために作成します。何かを切っ掛けにしていつも決まった結論に達してしまって、結果的に自分や周囲の息苦しさを増やしてしまうことになります。例えば、ある車種の車を見るとついつい高齢者が運転していて予想外の動きをするものだ、と決めつけてしまい早く追い越そうと焦るなどの反応です。自動思考に気づき、合理的な反証を意識するようにして、乗り越えていく必要があります。抑うつ状態から抜け出す際も有効な方法です。
 相談事として、既に職場から去った人が自分に電話を掛けてくる話が出されました。その時間帯が深夜だったり、長時間に及ぶので、どこまで相手になるべきなのか困っているとのことでした。頼られている存在としての自分が、できるだけ助言をしたいと思うが、やはり限界があるわけです。リミットセッティングや、タイムアウトの考え方が提案されました。人にはいろんなその人らしさがある、と言えます。相手を理解し、相手に自分を理解してもらうのは難しいけれど大事です。

第5回例会(2019.6.26)「受容・共感・自己一致、の難しさ」

昼の部 (11名)
 週刊誌の巻頭特集「発達障害の生きづらさをなくす」を取り上げて、社会の関心が発達障害そのものから、当事者と共にどう環境を整えていくか、に関心が向いてきていることを話し合いました。記事の中には、発達障害の診断をした医師100名にアンケートをした結果の解説もありました。子ども向けの対応と、大人向けの対応の両方について、「周囲のサポートで解決できるかどうか」を問うた質問に、「できる」3人・「ややできる」26人、との回答がありました。3割未満の医師しか、「解決」に期待していないことになります。「医療というより、社会の課題だ」というコメントもあったそうで、社会をつくる私たちが、「問題」に向き合う必要を感じました。
 誉めることの効用、何を誉めるのかの分析、無理に誉めて皮肉となって伝わる可能性、自己肯定感や自尊感情を高める方法、人の意見を聞き入れない人への働きかけ方、周囲に自分の嫌悪感を振りまく人との対応、多様な意見として人類史的な事実を否定する主張が認められるのかなど、身近な体験とリンクさせながら、人と人の関係づくりについて意見交換しました。いろんな人が居るものだ、とまずは知ることがスタートラインなのでしょう。

夜の部 (10名 このうち昼の部参加者3名)
 発達障害の特性があって、学校や職場で困りごとを抱えている状況があっても、各種の情報機器活用で改善できる場合が増えて来ています。雑誌記事では、その可能性があっても、例えば「前例がない」「他者との公平性に問題がある」などの理由で利用できない場合があると紹介がありました。社会の側に、踏み込んだ気づきや柔軟な対応の気運が求められる状況です。困っている理由が、当事者の特性そのものよりも周囲の無理解であるなら、それは新たな「障害」と考えられるからです。
 機器の技術的進歩が進んでいますが、AI(人工知能)で全てが解決するのか、解決させていいのか、技術頼みへの不安なども話題になりました。出生前診断に対する判断など、技術者倫理や社会全体での議論喚起が期待されます。でも現実には、自動運転や監視カメラ礼賛が多かったり、お金で潤う生活を目指すことが多いです。教育の場で子ども達自身が自由に議論できるようになってほしい、と参加者の多くは語り、続けて考えていくことにしました。
 9月の発表にも、この「倫理」や「自尊感情」などを反映させられたら良いのですが・・・。

第4回例会(2019.6.12)「困る、迷惑の本質を考えてみる」

昼の部 (10名)
 前回から3週間も過ぎていたので、近況報告と自己紹介の時間をとりました。図書館のサポーターについて情報提供がありましたし、発達障害の当事者会をスタートさせたお話もありました。この「茶話会」は毎月定期的に登別市の「ともかな」で開催の予定です。当事者と親御さん、支援者などの話から、これまで気づけなかったことに気づける機会になっているとのことでした。
 余市にある北星余市高校のPTAやOB会が主催する「おしゃべり会」の案内もありました。これは7月7日(日)の午後1時から5時の間、きらんで開催とのことです。ニュースで話題になっている、引きこもりの長期化・高齢化や、自動車の運転と高齢者の関係などで意見交換がありました。また、お子さんの通う学校との関係で、しばらく登校を控えることを求められたりして、徐々に通学に向けた取り組みをスモールステップで進める提案をされた体験談も語られました。
 「当人が困っていないから(いないなら)、今はこのままを続けるしか無い」という語られ方が現実にはあります。「世間に迷惑をかける(かけるかもしれない)から、今のうちに○○してしまおう」という言い方もあります。困ること・迷惑ごとは、お互い様、と言えなくなった現代があるとすれば、そのことにもっと問題視すべきなのかもしれません。

夜の部 (8名)
 「農福」、つまり農業と福祉を結びつけて、障害の特性に合わせた就労を進められないか、という話について、実際にいろんな働き方を体験した人に語ってもらいました。年間を通した計画が大事になるとの助言は、貴重でした。長い間の「引きこもり」でも、自然を相手にすることで人との関係づくりが生まれる切っ掛けになりそうです。個人を支えるのは、誰かから認められるという「承認欲求」と考えられるからです。切っ掛けを試すのに、種類がたくさんあるべきです。
 若者にとってのSNS(ソーシャルネットワークシステム)の存在感が、どれぐらい大きいのか、傍からは見ているだけでは分かりにくいものです。そうしたネット空間にも、交友関係は成り立つものでしょうか。当人の失敗体験と、周囲の心配傾向について、4つのマトリクスを設定してそれぞれに命名してみました。見守り・放置・過保護・ネグレクトなど、どういう対応を考えればよいのか、さらなる考えの切っ掛けになりました。

第3回例会(2019.5.22)「青春のカベと引きこもり」

昼の部 (4名)
 雑談風の会話から始めて、5月の発達障害ニュース一覧から話題をピックアップ。指定したキーワードに該当する記事を毎日報告してくれるネットのサービスによる一覧の斜め読みです。5月はまだ半月ちょっとですが、既に137件の関連ニュースがありました。その中から、「ASDへのオキシトシン治療で、表情の特徴が改善」「日本人の6割が"生きづらい病"」「高知市で農福連携」「中高年引きこもり、復帰しやすい環境を」を取り上げて、思うところや考えたことを話し合いました。
 息子さんの一人が、初めの頃はとくに問題が無かったのに途中から親や周囲への反発を示し、非行問題などに発展するような状況になった例についても語られました。各種統計によると、外国と比べて日本の青少年は自己有用感や効力感、自己肯定、自尊感情などが低いようです。この原因の一つには、予め提示された条件に合うような存在だけが「よい子」として認められて優遇される、という価値観が定着しすぎている可能性が考えられそうです。条件付きではなく、当人のそのままをまず認めることの大事さを考えました。
 青春時代の葛藤について、橋本治さんが提唱した「現実のカベと社会のオキテ」の考えも披露されました。ぶつかって跳ね飛ばされるしかないカベと、時々踏み越えてしまうオキテの間を、人は成長の過程でじたばたするというのです。そのみっともない姿を自覚する体験を、今の社会は若者に提供できているのかが課題のように思えるのです。

夜の部 (5名)
 昼にも話題になった、青春のカベについて、夜も意見や感想を述べ合いました。現実のカベは乗り越えられないもののはずですが、人によっては乗り越えてしまって精神的な迷子となる事実はあるようです。社会のオキテが、過剰に意識されすぎると若さ象徴でもある試行錯誤の機会が奪われてしまうことにもなりそうです。

第2回例会(2019.5.8)「話さずにはいられないこと」

昼の部 (6名)
 新聞記事にあった、発達障害の息子をもつ母親がSNSに「話すだけの場」を設けた話をきっかけにして、何人かから身近な体験談が語られました。特別支援教育に関わって、小学校と中学校の対応や印象が違うという話や、登校しぶりに対しては簡単に欠席や遅刻を認めてはいけないのか、当人たちが過去の出来事を覚えている覚え方の話、記憶が鮮明なだけに現在と比較されると嫌がる傾向が見られること、など話題は次から次に出てきました。
 記事では、現在は8300名を越す登録者がいるとのこと。親として同じ悩みをもつことで、率直な話し合いがやり取りされているようです。参加の条件として、「自分の悩みを語る」ための場であって、誰かがアドバイスするための場ではないことを確認しているそうです。話さずにはいられないことを、話せることは大事な意味をもつようです。シェア会の例会も、時にアドバイスも出てきますが、まずは気軽に話せる場として機能しているように見えています。
 資料提示として、大学受験の大手予備校が、発達障害児の教育を引き受けますよ、と新事業を始めるという記事が紹介され、他にも学齢期の初期にゲーム機に夢中になったことで、脳の後頭側頭溝に「ポケモン脳」と呼ばれるような特別の領域が生じるとの研究発表があったことが紹介されました。どうやら「脳育て」の意識が必要になりそうです。

夜の部 (7名)
 今年度の活動方針について話し合う予定もあったのですが、主に参加者自身が現在関心をもっていることを話し合いました。とくに話題にのぼったのは、「傾聴」ということでした。新聞記事の「悩みを語る」場のことを取り上げたのですが、それに対して、「話すだけで良いのか」「何かの助言が必要だと思うが」といった反応がありました。でも、新聞記事では「聞くだけ・話だけ」の場であることが書かれていました。
 ボランティア活動の一つとして「傾聴ボランティア」があることが、参加メンバーからの説明で分かりました。大きな災害があると、避難所などに集まった人の中には不安が高じて落ち着けない状態の人もいます。そういう人たちには、その不安な気持ちを誰かに伝えること、話すことで安心が生まれていくことがあるのです。傾聴の仕方も、練習が必要とされています。では何故、人は話を聞いてもらいたくなるのか、と話は広がっていきました。カウンセリング理論の一つに「来談者中心」の方法があることなども話し合われました。
 何かの不都合な場面で、その原因がどこにあると見なすのか、についての話も出ました。自罰・他罰・無答責などについて考えてみました。国民性の話題としても、興味深いものがありました。学校と保護者の関係も、大事な関心事です。

第1回例会(2019.4.24)「自己紹介と今年度の計画案」

昼の部 (12名、新顔さん3名含む)
 新年度スタートにふさわしく、新鮮でにぎやかな話し合いになりました。事前に当会宛てにメールの問い合わせをしてくれていたご家族の方と、担当の相談支援員の方が初参加でした。顔見知りのメンバーの自己紹介でも、新しく始めた取り組みのことなど、近況報告の内容は多彩でした。
 登別市で「大人の発達障害当事者の集まり」を世話役として始めたメンバーからは、第一回目開催の様子について報告がありました。今後も毎月第2日曜日に「ともかな」を会場にして活動を続けていくとのことです。当事者に限らず、支援者にも参加を呼びかけているそうです。別なメンバーからは、高校時代に発達障害での受診をして結果を得ながらもそのままにしていたとの回想が語られました。また、進級した娘の登校を励ますのに毎朝格闘している、との報告もありました。
 もう成人した息子さんの中学生頃からの引きこもり状態が長引いて、その対応に苦慮したり、先先のことに不安があったりするという話が、後半の話題になりました。発達障害(自閉スペクトラム症)としてのこだわりの強さがあり、親の言葉遣いなどにも過敏に反応することがあるとのことです。当人にとっての悪いことの原因は、全て他者(とくに親)のせいだと言い立てるそうです。こうした状況について、メンバーからアドバイスが語られました。ご自身の息子さんから暴力も伴う反発があった体験をもつ親御さんからは、「親のせい」という言い方はよくあったそうで、特別なことではないとのこと。その息子さんは、北星余市の高校に通うことで卒業できたと語ってくれました。
 次回に向けての課題として、「あの人の気になるあの言動について、自分がその人のあることを誉めたらこうなった」という取り組みを報告できるようにしよう、との提案が出されました。「良いこと気づき」の練習です。

夜の部 (10名)
 自己紹介から始めましたが、関係者が複数いたことから学校に関わる話題につながっていきました。現在の特別支援教育や、それ以前に特殊教育と呼ばれていた頃の両方を教師として体験していたお話がありました。切り替え時期の頃に見られた特別な事情もあったようです。特別支援教育には、インクルーシブ教育や多様性を尊重し合う思想が制度を支えているはずですが、現実にはどうなっているのか、という視点も必要なようです。
 北星余市高校に関わる話で、精神科医で大学教授の香山リカさんが「同じ釜の飯を食う」ことによって人間関係が安定すると講演で話したことがあったそうです。共同生活の体験を通して、人と人の関係を「怖くない」と思えるようになるというのです。若い世代が、SNSなどでのつながり合いに振り回されている状態もあるようなので、納得の説明でした。
 失敗を積み重ねていける場の話題も出ました。失敗から学べることが多いからです。先回りしすぎて、失敗できなくさせていないかを、周囲の大人は立ち止まって考えるべきなのかもしれません。考えるには時間が必要になるので、忙しすぎる環境が、最も問題になると言えそうです。最後に、大学1年生向けの「普通を考える」スライドで多数派の押し付けについても考えました。次回に向けての宿題は、気になる行動に良いこと気づきで変化を引き出せるかを試すことにしました。 

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